卒業生の声

 

「Three Years in Davidson HighSchool」 KOMEI HENMI ◆ 2009-2011留学

The day before my last HSC examination, I was given an opportunity to take a break from my exam revision and reminisce about the last three years that I had spent at Davidson High School. Since the trial examinations, my mind had been constantly occupied by numerous concerns about the future, and I had never really had the chance to reflect on the past.

I asked myself: what aspect of life at Davidson High School would I remember the most in five, ten or even fifty years? The answer came immediately to me: the lessons with my classmates and teachers every day.

Having grown up in a culture that differs from Australia in so many ways, every lesson was a source of new discoveries and learning experiences, apart from the study contents of the lesson. Initially, without the English ability that I now possess, a classroom looked like a chaos where students talked without raising their hands and some of them even spoke more than their teacher. However, it was not until I came to understand what they were saying that I realised that the students were being responsible for their own learning by discussing relevant topics and exchanging opinions with each other. The spontaneity and assertiveness of the students were encouraged and nurtured in the classrooms of this school, and I observed that this affirming and individualistic learning environment was the reason why the students were able to sustain their admirable motivation and efforts. Being surrounded by such a lively and pro-active group of students was an inspiring experience that I would not have gained if I had remained in my own country, Japan, where students study passively and seem to be void of any passions.

 

This positive learning environment would not have been possible without the teachers at Davidson High School. They were always eager to help and they seemed to consider their job as more than just a job. No teacher ever told me ‘No’ when I asked them for help, and what is more important is that no teacher left me uncertain. Since when I was in Japan, I had always been ‘a good student’ and maintained my ranking at the very top in my school. In Australia, however, to get the marks that I used to receive in Japan required a tremendous amount of effort. Speaking English as a second language, I had to study more than twice as much as others, but there were times when I could not manage everything on my own. If it had not been for the support of my teachers, I would not have achieved what I accomplished, nor would I have been able to experience the whole process of my own improvement and growth. Learning at Davidson High School never made me feel like I was forced to study or I had to study; I genuinely wanted to study.
I am so grateful for Davidson High School to have provided me with this amazing opportunity to pursue the joy of learning and improving myself in such an ideal learning environment.
 

 

「ディビッドソンハイスクールでの3年間」 逸見 弘明 ◆ 2009-2011留学

 

私のHSC最終日の前日、DHSの校長先生に依頼されて、この学校での私の過去三年間についての短い文章を学校新聞に投稿することになりました。学年末考査以来、HSCのための復習で多忙な日々を送っていたところ、少し息抜きをする良い機会になりました。HSCの模擬試験、HSC本番、日本での大学受験(これから)と重要な試験が相次ぎ、将来への不安を無数に抱えていた中、久々に過去の思い出に浸ることができました。
 5年、10年、50年経って、DHSでの生活を思い起こしたら、何を一番に思いだすのだろうかと想像してみたところ、答えは瞬時に出ました―――先生や他の生徒との毎日の授業です。

 オーストラリアとはありとあらゆる面で異なる日本の文化で生まれ育った私にとって、ここでの毎日の授業は、授業の勉強の内容に加えて、また別の新しい発見や学習の宝庫でした。現在の英語力がなかった留学の出だしの時点では、教室の中で起きている現象を把握することができず、オーストラリアの授業には規律というものは存在しないのかと驚いたものです―――挙手することもなく生徒は自由に発言し、先生より多く話す生徒までいます。しかし、次第に周りの生徒たちの発言を聞き取れるようになってくると、最初の印象はただの誤解でしかなかったのだと気付きました。生徒は積極的に授業に参加、貢献することによって授業を生徒主体で進めていたのです。DHSでは生徒の自主性や主体性は大いに歓迎され、奨励されているため、生徒は学習に対する関心を失うことなく努力とやる気をを維持することができます。生徒が学習の受け身になり、機械のように知識を詰め込む日本の教育システムの中にいたのでは得られなかった、貴重な経験になりました。

 

 このような学習環境は、DHSの素晴らしい教師陣の存在なしには有り得ません。私を受け持った先生方のすべてがいつでも喜んで私を支援をしてくださり、助けを求めた際に断られたことは一度もありませんでした。また、先生方の説明は非常に簡潔で分かりやすかったのも、私の学習の大きな助けになりました。DHSの先生方は、収入のためのただの仕事としてではなく、生きがいと情熱を持って教えているのだと心から感じられました。

 

 常に勤勉な私は、日本にいる頃に高い成績を維持していましたが、言葉も文化も異なるオーストラリアで以前のような成績を得られるようになるまでには相当な努力を要しました。英語が第一言語ではない私は、他の生徒の2倍、3倍以上も毎日勉強しなければなりませんでした。しかし、自分の努力だけではどうにもならないときも度々あり、その度に先生方の支援に救われました。DHSの先生方の援助なしには、良い成績を出すことも、自分自身の成長の過程を実感することもできなかったことでしょう。DHSでの三年間は、「やらされている」または「やらなければならない」ではなく、自分が「やりたい」と思って自主的に勉強をすることができました。

 

 このような理想的な学習環境での学習と成長の喜びの追求が可能となったDHSに、心から感謝しています。

 

「オーストラリアで得た自信」 ◆ 2005留学

北川 晶子
現在 中央大学 経済学部国際経済学科

高 校3年次のICETへの留学は、その後の私に大きな影響を与えています。留学中に習得した語学力を活かして、大学1年の時から夏の国際ボランティアに毎年 参加し、ヨーロッパ各国を訪問しています。様々な国から集まった学生と共に行動することで、自分自身の視野がさらに広がっています。こういった活動に積極 的に参加できるのは、オーストラリアで一年間生活できたという「自信」があるからだと思います。

 

リーマンショック以 降、日本でも大学生の就職が厳しい状況が続いています。しかし、留学で得た「自信」があったため、面接などにおいても自分自身のことをしっかりアピールす ることができました。その結果、自分が希望する企業に内定を頂くことができました。これ先も様々な困難があると思いますが、「自信」を持って前向きに行動 して行くことができると思います。

 

 ◆2006~2008留学

 

現在 秋田国際教養大学 国際教養学部
井上 夕香理

 

私のオーストラリアでの高校生活は、異国の地で自分を認めてほしいという気持ちでただ毎日がむしゃらに毎日を送っていたように思います。それは結果として自分の満足いく成績や、現地の学生との友情、かけがえのないホストファミリーとのたくさんの思い出として私の中に残っています。ICETの留学で、自ら行動を起こそうという意識も養われ、それは今の私の大学生活にも大いに活かされています。留学中の悩みや困難がなければ、私は今のように積極的に物事に取り組むことは出来なかったかもしれません。2年間のオーストラリアでの高校生活は、私を以前より前向きな人間に変えてくれたと思います。

 

 

 

 ◆2006~2008留学

 

現在 慶應義塾大学 法学部
N.K

 

ICET留学を通し、私は本当にたくさんの素敵な人たちとの出会いを経験しました。その中でも、私にとって最も大切な出会いであり、海外生活を支えてくれたのは、ホストファミリーです。ホストファミリーとは、いわば、別の家の子を一時的に預かるという責任ある立場ですが、Leigh-Sizeland家は私を我が子のように愛し、本当の家族の一員として迎え入れてくれました。留学生活中の楽しい思い出も涙した思い出も、彼らなしに語ることは出来ません。私が住んでいた部屋は、いまでもNatsumi’s roomと呼ばれているそうです。 また、第二の家族という存在を得たことで、同時に、第一の家族である日本の家族の大切さも学ぶことが出来ました。留学を許可してくれた第一の家族、留学生活を支えてくれた第二の家族には、心から感謝しています。

 

 

 ◆2006~2008留学

 

現在 埼玉大学 経済学部
清水 和吉

 

オーストラリアの高校生活では、日本で体験できなかったであろう事がたくさんあり、様々な場面に直面します。その場面の多くが自分の苦手とするものでした。しかしそれを乗り越えていくことで、自分自身を知り、高校生なりにアイデンティティーを確立することができました。そのアイデンティティーは多国籍の国ではより際立ちます。例えば、ICETのプログラムや実生活の中で日本人としての意見を求められることは多く求められます。自分自身を知ることで、一つ一つの仕事に自信を持って自分色を出すことができ、100%の力を出し切れるようになります。そして、今現在その経験で得たアイデンティティーが大学生活の中で一番役に立っているものです。

 

 

 

 ◆2006~2008留学

 

現在 横浜国立大学 教育人間科学部 国際共生社会課程
竹内 亜利沙

 

私は3年間の留学生活を通して勉強面だけではなく、生きていくうえで大切なこと、そして生き方自身を教えられたような気がします。私は中学生の頃人付き合いが苦手でした。出来れば深く関わり合いたくないし、裏切られることが怖いと思っていました。しかし、恵まれた環境の中で多くの人々と関わり合う中で人を愛することの大切さに気づかされました。房枝先生がおっしゃたこと、「まずは自分が相手を信じてあげること。」の重要さを日々感じつつ日本での大学生活を送っています。

 

 

 

 

 ◆ 2006~2008留学

 

現在 広島女学院大学 日本語日本文化学科
小野 淑子

 

私は「個性」というものをすごく大切に思っています。それは、オーストラリアでの高校生活を通して自分と向き合う時間が増え、客観的に自分自身や周りの物事を見つめながら自分の存在の大切さに気付くことができたからだと思います。また、それを自身で理解することで自信を持つことができるようになったし、心から人を大切に思うことができるようになりました。それ以来、「みんなちがってみんないい」という言葉を私のスローガンとして人と係わるようにしています。そのおかげもあって、今はより良い人間関係を築きながら楽しく充実した生活を送っています。

 

 

 

◆2002年留学 

 

現在 ハワイ生命保険会社 セールス

 

ICET は、私の人生を180度かえたと言っても過言ではありません。以前の私は日本と言う小さい箱の中で満足はしていたけれど、同時に退屈でもありました。私の 可能性はまだあるはずと思い、自分を試す意味でICETのプログラムに参加しました。今思えば、英語も話せないながらによく決意したと思います。 オーストリアでの生活は毎日が新鮮でした。言語の違い、文化の違い、毎日が新しい発見の中で自分の英語そしてなにより自分自身が成長しているのが日に日に 感じられました。ICETは私の世界観を日本から全世界へと広げてくれました。オーストラリアでの1年間があったからこそ今の私がいるのです。本当に心か ら感謝しています。

 

 

 

◆ 2004年留学 

 

現在 外資系人材サービス会社勤務

 

ICET のプログラムでは1年間留学を経験することが出来、かつ3年間で日本の高校を卒業出来るため自分に適していました。ICETの高校生活には日本の普通の高 校にはない可能性があると思い選択しました。そして実際そうだったと感じています。その後、留学生が学生の半数を占める大学に行きましたが、最初から留学 生の友達が多く出来ました。私はICET留学で身につけた語学力と国際的感覚が役に立ったと感じています。人間関係だけでなく、情報収集量も広がりまし た。レポートや卒論も、日本語だけでなく、英語の文献からも情報を得ることが出来ました。社会人となった今は、英語力を評価されて英語関連の業務をまかさ れています。

 

 

 

◆2002~2003留学

 

現在 外資系IT会社 ITコンサルタント

 

私にとってのICET留学は今の自分を創る一番大きなファクターです。信頼できる先生方、第二の家族のホストファミリー、そして共に切磋琢磨した留学仲間。自分を思い切り信じて成長することができたのは、皆がいてくれたから。

現在外資系IT会社でコンサルタントとして働いています。インドと日本のブリッジとして両チームを繋ぎ価値を創造する仕事はとてもやりがいのあるものです。

私の挑戦はまだまだこれからです。世界を舞台に様々な人々と手をとり、次の世代を切り開いていきたい、それが私の夢です。ICETは、皆が特別な存在であること、そして人生は無限の可能性にあふれていることを教えてくれました。

 

 

 

◆2000年留学

現在 学習塾 校舎運営チーム職員

 

お そらくICETの経験がなければ今の仕事を私は選んでいなかったと思います。元々自分の意見を発表することや人前で話すことが大嫌いでした。しかし ICETでは日本の高校生活に比べ自分の意見を発表する、話し合う、人前に立つ、という場面が多くあり、正直はじめは嫌で仕方がなかったのですが、 ICETで鍛えられ、同時に楽しさも体験することができました。現在、年間を通して説明会や講演会など人前で話すことが多い仕事をしています。元々嫌い だった分野の仕事をしているわけですから、ICETは私の人生において影響力大だと思います。

 

 

 

 

HIKARI KAKEYA ◆ 2002年留学 

 

現在 屋久島環境文化研修センター 環境教育インストラクター

 

留 学する前までは、自分の意見も言えないおとなしタイプでしたが、留学を通して自己を表現することの大切さを学ぶことができました。ICETの留学では色々 な人との出会いだけでなく、未知なる経験や自然との出会いもありました。 その自然というテーマに心動かされ、卒業後はその自然環境を追求する道に進みました。現在自然豊かな屋久島で環境教育インストラクターとして働いていま す。これも、ICETで自分を変えることができたからだと感じています。