Archive for the ‘Journey’ Category

Mr. Manningから旧議事堂でのツアーの様子の写真が届きました。

 

国立博物館。

文字通り、この博物館に行ったら、オーストラリアの歴史、地理、自然、文化についてなんでもわかるくらいにいろいろなものが展示されています。200年の歴史しかない国ですが、細部を見れば、本当に豊かな国であることがわかります。

最初にActivitiesがありました。

アボリジニーの人々が使っていた道具や楽器を見せてもらい、説明を受け、その後に、自分たちでそれについて説明する、というものです。

  

一口に「アボリジニー(先住民)」と言っても、部族は600以上に分かれ、話す言語も250以上になるということです。上左の写真の地図は、言語の分類を示す地図です。アボリジニーの人々は、約4万年もしくは5万年前くらいからこの地に住んでいたと言われます。自然の中で狩りをして暮らしていました。ウナギの養殖ができるような灌漑システムも考案していたという遺跡があります。

文字が無く、鉄の武器も無く、土地の所有や政府といった政治的な機構がなかったために、白人がやってきてからは、殺戮と病気で人口が急激に減ってしまい、社会の片隅にと追いやられてしまいました。その状態は、現在までも続いています。政府は、白人社会に融合させようとするのですが、一向にうまくいきません。

  

死者を弔うための魔よけのようなもの(左上) ブーメラング(真ん中) ゆりかご(右上)。

ゆりかごは、現在は、樹皮に焼き鏝で模様を入れ、芸術品として販売されています。これをひっくり返して赤ちゃんを乗せ、仕事をしながら足で揺らせば、いい具合に揺らすことができます。

   

各グループの発表が終わると、カメラが渡されました。テーマが与えられ、博物館の中で、テーマに沿って、一人が1枚写真を撮り、それについての解説をもらった紙に書いてきなさい、というものです。これは、展示品をしっかり見るためには、とてもいい学習活動でした。

 Ernabellaという村があります。オーストラリアのちょうど真ん中あたりにある村です。ここでは、アボリジナルの女性が中心となって、織物、絵、反物などを産出しています。政府から与えられる生活擁護費をあてにするのではなく、自らの手でビジネスを立ち上げ、その売上金で、学校や病院やその他村民が必要とするものをすべて賄っています。

左の写真は、その作品のひとつです。

国立博物館のあとは、自由時間のショッピング。

6人の生徒が造幣局に行ってみたいということで、二手に分かれました。

実りの多い日でした。

 

 

 

CSIRO – Commonwealth Scientific & Industrial Research Organisation という機関があります。

連邦政府科学産業リサーチ機関とでも訳せばいいのでしょうか。オーストラリアの科学技術のパイオニアとしてこの国の工業や農業や生活全般に貢献しています。

例えば、破れない、濡れても大丈夫、そして、コピーをすることができない特殊なプラスチックのオーストラリアのお金は、この機関で考案されたもの。今では、世界中がこの恩恵を受けているWi Fi、これもここでできたもの。このお陰で、アメリカから特許のお金がどっさりと入ってくるので、研究費が豊富にあるとのこと。

ポリマー、微生物、オメガ3、そして、熱エネルギーなどの分野で研究が盛んに行われているということです。食べ物と健康及び病気との関係の研究も盛んで、栄養やダイエットの本もたくさん出ています。

子どもたちがよく見学に来るのでしょう。顕微鏡や標本など様々な面白い実験ができるものが置いてありました。

ここで一番最初に見せていただいたものは、stick insectなるもの。小枝のようにカモフラージュにして木々の葉の間に身を隠して身を守るとのこと。カマキリがこんなかわいい顔をしているなんて・・・ メスは卵を持つために、オスの3倍くらいの大きさがあるとのこと。

  

  

もっと遊びたかったようですが、そこから、国立博物館に。

 

 

自分たちで作る食事は、とても楽しかったようです。

21日(土)の集会は、ルールの確認と、メニューの作成でした。ルールといっても、細かいことがあるわけではなく、普段の共同生活に加えて、みんなが楽しめるものにすること、オーストラリアの公衆の中にはいっていくので、大声で日本語を使って歩くのではなく、できるだけ英語、そして、静かに行動すること、というものだけです。

(実は、この2番目のルールが、毎年、守ることがいちばん難しいルールなのです。)

全行程のメニューは、各グループで作りました。グループによっては、誰もお料理をしたことがなく、「外食で済ますか」というアイディアが出たようですが、それが可能でないことがわかると、簡単にできるものを考え出したようです。

2日目のランチまでの食材は、シドニーを出発する前に購入。2日目の夕方に、Mr Gavinにバスを出していただいて、各グループから2名がスーパーマーケットに。

非常に凝ったものを何種類も作るグループ。失敗してお鍋を焦がしたグループ。電子レンジで暖めれば済むものを購入してきたところと、さまざまでした。でも、みな、一生懸命。

普段から、お家でお手伝いをしている人たちは、こういうときにすばらしい力を発揮します。手際のよさも時間の配分も。自分が口に入れるものを一度も作ったことがないという生徒は、相当な苦労があったようです。それでも、やっぱり、自分たちで考え、買い物し、作ってみるということは、楽しいことなのですね。

自分たちで作ったランチも格別においしかったことでしょう。

 オーストラリアと親交のある国々の旗がずらっと並んでいるところがあります(この写真は、その半分も写っていません)。数を数えてみたり、どの国の旗がどれとあててみたりしたら面白いのでしょうが、残念ながら時間の余裕なし。

キャンベラは、人工都市です。まったく何もない山地を切り開いて造ったところです。都市のいたるところにすばらしいデザインが光ります。人口湖、議事堂から戦争記念館をまっすぐつなぐ大道、戦争記念館の池にこめられた願いなどは、ごくわずかな例です。

この湖の周りには、人々が散策したりサイクリングを楽しむ道があります。その一部に、音楽の五線譜を模した線が引かれ、その上に、四角な棒が立っています。毎年、「今年のオーストラリア人」として選ばれる人がいます。老若男女関係なく、オーストラリア人として活躍した人が選ばれ、政府から表彰されます。その人物の名前がこの棒には刻んであります。

この棒に沿って音を出していくと、オーストラリアの国歌になるのです。なんて、すてきなアイディアでしょう!

  

たまたま珍しい瞬間に居合わせました。陸・海・空軍の兵士たちの無名戦士の廟への行進がありました。

この日、ガイドだったのは、Nick Creanさんという方。広島に3ヶ月、日本には合計3年暮らしたという大の日本好き。戦争記念館には、第二次大戦のホールがあり、ニックさんにとっては心情的にとても説明しにくいところです。難しいところは、日本人である私が引き受け、ニックさんには、全般的なことを説明していただきました。

ニックさんとミズホさんが読んでいるのは、無名戦士の廟がオープンされた時に時の首相ポール・キーティング氏が作った詩です。後ろにある赤い花はケシの花です。第一次大戦後の荒野に最初に咲いた花がこの赤いケシの花。そこで亡くなった兵士たちの血がこの花を咲かせたということで、ANZACの象徴になっています。ちょうど、桜が特攻隊で命を散らした若者たちの象徴になっているように・・・

ゼロ戦の本物が飾ってありました。

 

2日目は、2班に分かれました。

1班は、旧国会議事堂内をガイドの案内で周り、その後、Mt. Ainsley(アインズリー)という展望台に。そして、ランチに集合し、その後は、国立戦争記念館に。

2班は、その逆のコースを回ります。ガイドの説明を聞くためには、15人あたりがちょうど良い人数です。

旧議事堂では、首相の執務室、プレス・ギャラリー(新聞・テレビ記者たちが議事を見学するところ)、ニュースを発表するところなどを見学。

ここには、おもしろい話がたくさんあります。この建物には、女性用は事務官たちのものしかなく、それも建物の外。インディラ・ガンジー大統領の訪問に際して急遽首相執務室の中に設置したという女性用のトイレ。歴代の首相たちは、国立美術館から、より取り見取りの絵を執務室に飾ることが許されていたのに、最後のホーク首相は、たった1枚の絵、それも、とても寂しい絵しか選ばなかったことなど。生徒たちは、最高裁判所の判事たちが着ていた洋服を着させてもらいました。

  

戦争記念館と議事堂は、1線に結ばれています。(上右の写真)。戦争記念館の泉は、建物全体が水に映るようにできています(写真真ん中)。

Reflectiion(反映、反省、思い出す)ということをテーマに建造されたものということ。思い出すのは、もちろん、過去に国のために命を捧げた人々、犠牲になった人々です。すばらしい発想の見事なデザインです。

無名戦士の廟があります。ここは、キャンベラを訪れる各国の元首たちが必ず訪問するところだそうです。廟の中を飾るモザイクは600万個。床に無名戦士の墓があり、視線を天に誘うために、4本の柱が立っています。これは、地、水、火、風の四大を表しています。視線が上に向くと、そこは天界。そこから24時間無名兵士を照らしている灯火があります。

 

ランチを食べた公園の一隅

 キャンベラは、もうすっかり秋でした。

マイクロバスと中型のバス2台に分譲して、7時にシドニーを出発。途中のポプラ並木は、見事な黄金に色づいていました。

 11時半には、予定通り、最初の見学場所Reptile Park(爬虫類飼育所)の門の前に到着。
 案内のEmmaさんは、若いきれいなお嬢さん。蛇やとかげを自由に操るので、男の子たちがびっくり。「怖くないのかな・・・」と。彼女は、4歳のときから蛇が大好きで、飼育の免許を得て、家に4匹飼っているとのこと。
  
 時々パラつく雨が、ランチの時だけちょっと止みました。キャンベラのフィーチャーであるバーリー・グリフィン湖のほとりで、大急ぎのランチを食べ、クルーズに。クルーズといっても、小さなお船。でも、船長さんは、熱心に説明をしてくださいます。湖の周りに立つ、いろいろな建造物について。
  
 交代で舵を取らせてもらいました。なんとなく、タイタニックの気分?
  クルーズの最中に、噴水が上がりました。絶好のタイミング。
 なんとクルーズが終わったら、空が晴れ上がり、そこは、ちょっと惜しかったです。
 キャンベラには、Questacon(クエスタコン)という科学好きにはたまらない博物館があります。宇宙や地球の仕組み、機械が動く仕組み、科学の不思議など、いろいろなことが詰まったところです。子どもでもわかるように、とても具体的に、でも、簡潔な説明がついています。
 Questaconの建物は、1988年に日本政府からプレゼントされたものということ。
 1988年は、オーストラリアにとっては、200年祭の年です。何の200年祭か?
 大英帝国から、The First Fleetと呼ばれる最初の艦隊が到着した時です。そこには、囚人や、それを管理する役人たちが乗っていました。
 1日目は、そんなふうにあっという間に過ぎてしまいました。さあ、いよいよと、宿泊場所に向かい、夕食の準備です。

 6名の生徒が昨日日本に向けてシドニーを発ちました。

 オーストラリアの空気と匂いをたっぷりと運んで。

遂に日本に到着。待ちに待った瞬間。

 3つの違う学校から集まってきました。

 みな、10年生。今週は、School Certificateという義務教育を修了するための試験があり、それを終えた直後の出発です。

 これから12月24日まで、岡山学芸館高等学校で勉強させていただきます。

 羽原様、坪井様、吉岡様、真野様、谷口様、田中様、辻様、小田様、お世話になりますが、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 オーストラリアと日本の文化は、まるっきり違いますので、生徒たちが戸惑うこともたくさんあり、なかなか皆様のご期待に添えないことも多々あるかと思います。この年齢でこれができて当たり前と思われるようなことも、その都度、手を取り足を取り、教えていただければありがたいです。

 みな、学びたい気持ちでいっぱいです。

 DHSからのTamsynとJordanは、1ヶ月、ランチタイムや放課後に、ICETの生徒たちから日本語の特訓授業を受けました。交代で行ったのですが、教えるということはそう簡単ではないことを実感したところもあり、教わるほうも、教えるほうも、お互いに学ぶところは大きかったようです。

 9月からお世話になり、ちょと入れ違いに戻ってきたDavidは、もっともっと長く日本に滞在したかったということ。2ヶ月は、彼の人生でとても特別なものになったと感謝しています。わずか2ヶ月でも、この2ヶ月は、彼をいろいろな意味で違うものにしていることは間違いありません。留学は、本当に大きな体験です。

 その成長は、これから、ジワジワといろいろなところで彼の良いエネルギーとなっていくことでしょう。

 渡邊様、学芸館の先生がた、お世話になりました。ありがとうございました。

 

 福島先生、Davidがお世話になりました。そして、これから、6名、たくさんたくさんお世話になります。どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 エジプトのムバラク政権が崩壊したのが2月。

 去年の10月にチュニジアで人民の権利を訴えるデモが起ったことをきっかけに、この1年間で世界はそれまでの世界とはまったくの様変わりをしました。

 それまで考えられなかったことが、起っています。

 リビア、シリア、イエメンと「民主化」(これがどういう意味を持つかは別として)の動きが飛び火していきました。そして、イギリスの暴動。

 その間にも、欧州のソブリン危機は根本的な解決をみないまま、世界中の株式市場は、激しく揺れ動いています。金融システムが崩壊すると警鐘を鳴らしている経済学者も少なくありません。

 そして、1ヶ月前に始まったウォール街での格差是正のデモと座り込み。世界に広がりつつあります。東京にも、シドニーやメルボルンにも。

 10年前に大規模に世界に広がったデモが思い出されます。イラクへの戦争反対のデモでした。

 私が生まれて始めて参加し、人生で一度だけ参加したデモです。そのデモは、世界で同時に起り、何千万という人が参加したと聞いています。それでも戦争は起りました。

 イラクの一般の人々がその戦争でフセイン政権下よりも幸せになったのか・・・・ 

 その後に続いたアフガニスタンの戦争は、いまだに続いています。

 今回の「格差是正」のデモは、どのように広がっていくのでしょう? インターネットで即日、即刻、世界の様子がわかる今、そして、お互いに簡単に呼応しあえる環境がある今、次の日に何が起るのかは、もう、まったく予想がつきません。

 こうした世界的規模のデモがよい結果を生むのかどうか、それが、違う形の暴動に発展していくのか、それもわかりません。グループ心理は、一触即発の状態にあります。

 所得格差があまりにもひどい世の中。でも、それを少しでも変えようとする動きが政府からあれば、「社会主義」だと批判する資本主義信奉の人々。富の力で、世界政治を裏から動かそうとしている人々。

 格差を生み出している人々は、このデモをどう見ているのでしょう。

 おもしろい実験があるそうです。ネズミを一定面積の箱の中に放し、人口(?)密度によって、ネズミの行動を観察するというものです。密度が低いうちは、ネズミがけんかする姿はほとんど観察されないのに、密度を増すごとに、ネズミの行動に攻撃度が増してくるというものです。そして、最後は、共食い。

 人間はネズミとちっとも変わりないのだな、サバイバルは、動物の本能であり、人間が他の部族や国を襲撃するために、そこにどんなに崇高に響く名目をつけようとも、所詮は、このネズミと変わりないのだと、思わず笑ってしまいました。

 その一方で、世界には、共に生きよう、世界はひとつ、人類はひとつ、と人々をつなげよう、つなげようとする動きも確実に起こっています。

 自然災害が起きると、人間はつながります。災害がないと人間はつながることができないのか・・・

 「アラブの春」の動きも、「格差是正」のデモも、根底では、人々が平和裏につながりたいということのひとつの表れなのかもしれません。

 いずれにしても、世の中が、こんなにも激しく変わり、揺れ動いていく中、「教育」という場では、一体、若者たちに何を伝えていけばいいのか。

 彼らが未来に必要とするものは、どういうものなのか。真剣に問う毎日です。

 これからもぐりま~す。

 どんな熱帯魚と出逢うのでしょう? 

 

 このヘンの海の色は、紺青色。時には、エメラルド色に光ります。

 広い海原で、何を感じ、何を思ったのでしょう、若者たちは・・・・

 写真は、出発の朝を除き、あとはすべて引率のMrs. Shannonからの提供です。

 休暇の1週間を返上して付き添ってくださったMr.Kolokossian、そして、女子生徒のためについていってくださったMrs. Shannonに感謝します。

  

 

 

 

 Facebookに生徒たちが楽しそうな写真をたくさん掲載していますので、そちらもご覧になってください。